高齢社長の仕合わせな日々 57 | 2022年8月25日

手荷物が嫌い

 私は手荷物を持たない。毎日が手ぶらで移動だ。これは2006年 88で亡くなった父親からの遺伝だ。父がカバンを持っているのを見たことがない。父はおしゃれでいつも値段の高そうな背広と靴を身に着けていた。

 札入れには1万円札が80枚ほど入っており、それを銀座のホステスの前で何気なく開ける。札の多さに驚いたホステスは一様に嬌声を上げる。父は札入れから千円札だけを抜き取り1枚ずつチップを渡す。桁が1つ足りないがホステスたちは満面の笑みで受け取る。1980年代銀座華やかなりし頃こんな光景を何回も見せ付けられた。

 74歳の私も手ぶらだ。理由は手荷物を持つ意味が無いからだ。所持品は服のポケットに収まるだけの分量で充分だ。

 手ぶらのポイントは①傘を持たない。雨が降ったら濡れればいい。晴天の下365日傘を持ち歩いている人間の気が知れない。②旅行は宿泊先風呂で衣服は全部洗ってしまう。洗剤は使わない。水洗いで充分だ。1晩吊るしておけば乾く。だから布団の中はノーパンだ。③買い物をしない。2021年10月 96で亡くなった母親の遺品に旅先で買った人形や焼物が山と出てきた。全部廃棄した。それ以来買物に意欲がなくなった。「どうせゴミになる」。

 父と違うのは私は身なりがダメなところだ。①靴はアジア製の2,000円の運動靴。②ズボンは行きつけの御徒町のバッタ屋で1本2,000円。③ワイシャツはユザワヤで採寸済みの1枚4,500円。④チョッキは巣鴨地蔵通り商店街の作業衣屋で買った5Lの3,500円の網目。

 これらの共通点は、ゆるければいい―だ。こんな格好で街中をフラフラ歩いている。快調だ。