肩パット無しの既製品背広(52,000円)の修繕が終わった。
軽い上に首の後ろに服の重さが掛からない。ジャンバー感覚で着られる。
4/27は天気良く銀座大通りは明るい。「これで俺も人並みに背広をいつも着て歩ける」。そう思うと心は弾んだ。
肩パット無しの背広で社交界を優雅に泳ぎ回ろう。
渡辺
肩パット無しの既製品背広(52,000円)の修繕が終わった。
軽い上に首の後ろに服の重さが掛からない。ジャンバー感覚で着られる。
4/27は天気良く銀座大通りは明るい。「これで俺も人並みに背広をいつも着て歩ける」。そう思うと心は弾んだ。
肩パット無しの背広で社交界を優雅に泳ぎ回ろう。
電車に乗るときはなるべく4人掛け升席のある車輌に乗り、升席に座るようにしている。
移動者が顔を見合わせて座る空気は快いものだ。王子段ボール㈱に行くときは6:11品川発高崎行き前から2輌目の升席に座る。26分で赤羽に着く。東京駅を過ぎるとガラガラだ。会社までは赤羽からバスで15分だ。
こんな愉快な出勤はない。
手形のことである。お客様からの代金回収が1ヵ月後なのに外注さんへの支払いは5ヵ月後という会社がある。資金繰りのシワ寄せを外注さんに追いかぶせた行為だ。
これは私の趣味に合わない。「支払うものは一刻も早く払ってしまえ」が私の主義だ。王子段ボール㈱と㈱耕文社の支払いは20日締めの10日後の銀行振込だ。
王耕では3か月以上の手形を発行しているお客様に「手形サイトは3か月内にしてください」とお願いをしている。一方的に「支払いが3か月以上の仕事はやりません」とも言明している。
弱い者(外注さん)にしわ寄せする経営は止めるべきだ。外注さんへの手形短縮のために社長は自腹を切って現金化を早めるべきだ。
心不全になった理由をアレコレ考えて、最近多く食べている食物は①ライフのプライベートブランドのヨーグルト飲料1㍑パック②伊藤園のトマトジュース900gペット入りーの2種だ。
早速飲むのを止めた。
私はパンと乳製品が好きだ。入院中は朝がパンで昼夜が米飯だったが3食パンにしてもらった。牛乳1㍑は簡単に飲んでしまう。ヨーグルト飲料・トマトジュースはいくらでも入る。しかし命あっての物種だ。1回で1㍑パック空にしてしまう牛乳のバカ飲みも止めた。
会合が増えてきた。私の目的は講演を聞くことではなく、その後に開かれる懇親会だ。初対面の人と名刺を交換してあれこれ相手の状況を詮索するのが好きなのだ。
「商売はどうですか。私の印刷業は落ち目の三度笠です」「意味が分からない」「諸国を巡り歩く渡世人も落ち目になると地元やくざの1宿1飯にもありつけなくなる―という意味です」。続けて「マーケットの流れには逆らえません。印刷はもう駄目です」。
これだけ自分説明をやるとさすがに相手は私の質問に全部応えてくれる。これが面白いのだ。
以前出席は1日1会場だったが目的が懇親会だから、そこさえ出席できれば100%〇だ。例えば
①8:00-15:00ゴルフコンペ
②17:30―都内ホテルで他団体の懇親会―も出席可能になる。
5,6月で1日2会場出席日が3日ある。75歳で行く所がこれだけあるのは仕合わせだ。
心不全にかかって以来、医者には「心臓の病気の大敵は塩分だ。1日6g内にしなさい」ときつく言われている。
高輪病院の栄養士の指導を受けた結果、「汁を飲まないことで1日の摂取塩分を大幅に減らせる」ことが分かった。ラーメン・日本そばの汁を飲まないだけで結構塩分を減らせる。塩分少量の食物を食べるのを止めても効果は薄い。
汁を飲まないことに集中することはできそうだ。
75歳の今、若い頃のようにはいかない。「私は心不全」とお題目を唱えていれば予防措置が自然ととられる。
有楽町の洋品店の美人店員に肩パットの無い出来合い背広を勧められた。「これなら肩が凝らないわよ」。この店員の悪い所は私に対して馴れ馴れしいことだ。
試着して驚いた。ジャンバーを着ているようだ。襟のラインがズシンと首の付け根に重く垂れさがってくる感覚がイヤで私は背広を着ない。昨年は馬喰町の仕立て屋で採寸してもらい肩パットの無い背広を作った。これがまるで背広の体をなしていない。襟の尖った上着で直ぐにゴミとして出した。
今回の既製品はとりあえず上着の体をなしている。大満足である。これからは肩パットの無い背広を着て社交界を泳ぎ回ろう。
4/16(日)静岡市で開かれた徳川家臣団大会に参加した。
徳川宗家19代当主の徳川家広さん(58)はじめ徳川四天王の酒井・本多・榊原・井伊家の子孫の当主も参加した。団体では柳営会、牧之原開拓幕臣子孫の会、咸臨丸子孫の会など錚々たる血筋の人たちが集まった。
面白いことに「徳川家御家再興」を目論んでいる人は参加者の中に1人もいない。
今どきよくもまあこのような団体が活動しているものだと感心するが、かく言う私・渡辺家の御先祖様は徳川御三卿の1つの田安家に下級士として仕えていた。
あまり関係はないが面白いから毎年の家臣団大会に勇んで参加している。
ラベル新聞に九州工組役員の叙勲祝賀会の記事が載っていた。写真を見ると質素なパーティーのようだがニヤニヤしながら読んだ。
そもそも叙勲とは公務員にやる気を起こさせるための明治来公務員のための制度だ。戦後、叙勲対象が民間人にも広がったわけだが、知人友人がこの機に挙げてお祝いをするのは微笑ましい。
私が印刷業界に転職した46年前、印刷業盛んで業界で「富士講」があった。富士山信仰で印刷業界人が富士に参拝する講だ。とても奥深い業界に思えたものだ。もちろん叙勲祝賀パーティーもあちこちで開かれていた。
その印刷業界はマーケットの縮小とともに崩壊し続け、生き残った業者がなりふり構わず需要を漁っている。叙勲祝賀、富士講どころではない。
その中でラベル業界の叙勲祝賀会は40年前の余裕のあった印刷業界を思い起こさせるほほえましい記事だった。
今年に入って夜中に苦しくて起きることが多くなった。肺の中に空気が半分しか入らないのだ。原因が分からないまま「どうなっちゃうのだろう」と不安が続いた。そして近くの東京高輪病院に駆け込んだ。診断結果は心不全。
1、心臓が肥大して血液を押し出す力がなくなっている。
→治療は①食物の塩分を減らし血圧を下げる。②血液サラサラになる薬を飲む。③肥大化した心臓は元に戻ることはない。
2、血流が無くなると体内の水分が減らない。体中に水分が溜まった。肺の中にも水が溜まり空気が入らなくなった。
3、対策として入院中は1日の水分摂取量は1㍑内。排出した尿は1.3㍑/日。計算上は0,3㍑/日体内水分が減った→肺の水が減り呼吸が楽になった。足のむくみも無くなった。
4、退院後の生活は
①塩分を採らない
②水を控える
③体重を減らす。89→65kg
④薬を必ず飲む。
5、これで何とか持ちそうだ。
池袋東武百貨店で「北陸3県と岐阜・滋賀物産展」をやっていた。いずれも私にとって垂涎の名物がある地域だ。
入口を入ってまず食べたものが五平餅(100円、岐阜)、次がおろし蕎麦(680円、福井)。そして、香箱カニ弁当(2,800円、石川)琵琶湖の鮎の佃煮(1,000円、滋賀)を買って帰った。
居ながらにしてこれだけの食物が手に入る。つくづく東京は便利なところだ。
売子は「皆お花見に行ちゃって、物産展の入場者が少ない」とブツブツ。「自分の努力不足を反省しろ。他人のせいにするな。まして桜が悪いとはもってのほかだ」と私は声を荒げた。私の怒りに売子たちはニヤニヤ笑って居た。 -4/4まで。
結論を言えばどの女社員もしっかりしている。私は得をした気分だ。彼女らが働くことで王耕の売上・利益は増える。清新な気分で皆がPSを使うとしたら大変な戦力である。
今まで困っていたことは、定年過ぎた契約社員が「いつ辞めてもいいんだ」と繰り返されてきたことだ。私は「そんなこと言わず元気に仕事して頂戴」と言ってきた。無駄な言葉だ。
出処進退すべてご本人が決めることだ。
西口のラーメン屋ばかりに行っていたので東口界隈は知らなかった。
足立区新田の段ボール製箱会社からバスで来て、眠ってしまい降りたところが東口だった。「一丁、東口をグルグル回ってみよう」と思い、池袋駅前公園で明治のカップアイスクリームを食べ、風俗店だらけの淫靡な町筋を行き来する若者たちを見ていると嬉しくなってしまう。若者は清濁併せ飲みながら生長していくのだ。
広い池袋南公園では乳母車がズラリと並び、若いお母さんたちが芝生の上で子供たちを遊ばせていた。サクラは満開。幼児たちの走り回る姿は見飽きることがない。しかもタダだ。75歳の私は呆然と眺めていた。
駅前の広くて古い喫茶店は入口に5,6人がいつも並んでいる。中年のウェイターに「儲かちゃってしようがないだろ」「あたしの所には回ってこない」。こんな奴の相手をしていても時間の無駄だ。サッサと駅に向かった。