2024.8.22、3日間の仙台訪問の最終日、伊達政宗を祀った仙台市青葉区の瑞鳳殿に初めて行った。廟の周りには18の石碑があり60歳で死んだ政宗の家臣の殉死者の碑だった。政宗が開明藩主と思っていた私にはちょっとした衝撃だった。
当時としては当然の殉死であっただろうが政宗は生前「殉死は不用」と言えなかったのか。
重臣の長男が38歳で死んだ時、政宗は切々と哀悼の長い手紙を重臣に送っている。津波が仙台平野を襲った時は米作復興の先頭に立ち海水が米作に弊害にならないのが分かり仙台藩が江戸への有力な米供給基地にした。
それほどの人が「殉死は不用」と言わなかった。気の毒なのは家臣だ。殿様が死ぬと自分まで死ななければいけないーとはなんとも切ない宿命である。
殉死の決まりは江戸中期に廃止となった。