高齢社長の仕合わせな日々 487 | 2024年9月5日

大声は大きな魅力

 「パワハラだ」「セクハラだ」をすぐ言う人間が多くなった。実にイヤな言葉だ。本人は「こういう言葉で身を守らないと社会生活を送れない」と本気で考えているのだろう。

 「パワハラ、セクハラ」をことあるごとに言われたら私はしゃべれなくなってしまう。相手の自由な発言を抑制する効果はあるのだが「パワハラ、セクハラ」はご自身の自由な発言を抑えてしまっていることが分からないのだ。

 結果としてその人の発声はひそひそ話になり何を言っているのか分からない会話になる。折角立派な声帯を持っているのにあえて小声で生活するのはもったいない話だ。私は「女性・男性」とは言わない。「女・男」と大きな声でいう。

 私の理想とする声の持ち主がいる。東急大井町線戸越公園駅近くの茶店の70過ぎの女主人だ。声がデカいのだ。雷が落ちてくるような声に私は酔いしれる。店には80過ぎの老婆が入れ代わり立ち代わり来てニコニコしながら店の椅子に座っている。

 おしゃべりな女店主はいつもの通り雷が落ちたような声で好きなことをしゃべっている。掘立小屋のような狭い茶店はさながら年寄りの集まるディズニーランドである。私はその茶店に買い物に行きクラシック音楽を聴くような気分で雷声を聞いている。

 雷声には「パワハラ、セクハラ」という概念が当てはまらない。その概念を意識した誠意ある発声なのだ。