父・昌夫の1つ上の従兄弟(私からすれば、いとこおじ)の内藤健一郎さんが松坂屋、上野風月堂など上野界隈の喫茶店良く連れて行ってくれた。内藤さんは㈱カラープロセスという製版会社をやっていて1男2女が居たが、3人は分かれた奥さんが引き取った。
仲の良い父と内藤さんは着るものも粋だった。酒がダメでその代わりヘビースモカーだった。2人の共通点は年中喫茶店に入り浸っていることだ。「いつ仕事をしているのか」周りの人は不思議がった。
私が30歳で耕文社の社長になった時、茗荷谷のレストラン「土味」でお祝いのご馳走をしてくれた。その美味しさは忘れられない。なぜ長い間私に目を掛けてくれたか分からない。
カラープロセスは内藤さん92歳の時「終業通知」が出され、内藤さんは94歳で亡くなった。私にとって内藤さんはありがたいいとこおじであった。